27歳で県議選初挑戦の秘話

26歳で結婚3週間目の決意。

その当時のことが「この道を」という本の中におさめられています。

 

結婚3週間で立候補の要請を受けて

”みんなと妻の幸せな世の中を”と決意。

 

高田由一さん(27)

 

仕事をやめ議席奪還をめざす和歌や県議候補(西牟婁郡区)

 

 一人の日本共産党員が、選挙に立候補を決意する。そこにいたるまでには、さまざまなドラマがあります。

 和歌山県庁職員を昨年(1990年)12月いっぱいで辞め、県議選西牟婁選挙区(定数4)から立候補する白浜町の高田由一さんの場合もー。

 和歌山県西牟婁郡、白浜温泉から本州最南端の串本町まで、南紀州の6町1村。人口は約7万人。この地方で高田さんの立候補は話題になっています。

 

 若者が定着する町に・・・・

 西牟婁郡区では、4期16年にわたり党が議席を占めてきました。しかし前回落選し空白になっています。

 同郡は過疎が進行し、若者が出ていきます。若者たちが定着する町づくりは住民の切実な願いです。

 しかし、仮谷自民党県政は、大企業のもうけ本位の開発を野放しにしてきました。関西電力の日置川超への原発建設計画や”サン・黒潮リゾート計画”ゴルフ場建設計画・・・。「枯木灘の美しい自然がこのままではだめになる」。自然破壊を許さない世論も高まっています。牛肉、オレンジの全面輸入自由化で、農家もいっそう苦境にたたされています。

 

 だからこそー「いやほんまによう決意してくれた。こんな若い人に立候補してもらいたかった」と喜ぶ白浜町の戦前からの活動家・小山富造さん(85歳)。

 高田さんは、昨年(1990年)の11月25日に、結婚したばかりです。相手は、青年運動で知り合った本宮町出身の榎本成美さん(31歳)です。上富田町の和歌山県立南紀養護学校も勤務しています。彼女自身、障害をもっています。

 高田さんは、結婚式で彼女の両親に心をこめたプレゼントをしました。「成美ちゃんを幸せにします」と大きく書いたボード(板)です。成美さんの両親は、それを床の間に飾っています。

 

「泣いて勝てるか」

 原矢寸久・西牟婁地区委員長から県議選への立候補要請があったのは、新婚旅行から帰ってまもない12月17日のことでした。

 「まったく突然の話でね。結婚3週間、将来のこと、障害をもったヨメさんのこと。初めは自信がなかった」とふりかえる高田さん。

 県民の要求実現のために党の議席をどうしても回復させなければならないこと、高田さんの立候補で地区組織の決起をうながすことができると、切せつと訴えられました。

 彼はその前日、日本共産党の第2回中央委員会総会決定を読んでいました。いっせい地方選挙の候補者決定が遅れていること、その背景に日和見主義があることを知っていました。

 「断る理由がなにもないことに気がつきました」と高田さん。

 自分ががんばりぬくことで自然破壊や農業問題などで県民の役に立つならばと、高田さんはその日のうちに立候補を決意しました。

 

 しかしー

 立候補の話を聞いて成美さんの両親が白浜の自宅にやってきました。選挙にでることは反対だというのです。

 成美さんの恩師・日本共産党田辺市議の田中康雄さんをまじえ、高田夫妻と5人で話しました。

 正午から午後4時まで。長い話し合いになりました。

 「まだ若いやないか。次に立っても、いけるやないか。落ちたら生活どうするんや」と心配する成美さんのお父さん。

 高田さんは、静かに、話つづけました。

 「みんなが幸せになる世の中でないと、成美ちゃんも幸せになれない。成美ちゃんの幸せのためにも立候補します」

 熱っぽく、こうも語りました。

 「僕も決意はしたけど、しんどいことがいっぱいある。そういうとき、この成美ちゃんの写真を見ると勇気づけられます」

 高田さんは手帳のなかの成美さんの写真をとりだし、両親の目の前にさしだしました。無言で娘の写真をみつめる両親。

 

 「わかってください」

 高田さんがそういったとき、成美さんがワーッと泣き出しました。

 そのときでした。

 

 突然、お母さんがテーブルをパンとたたいていいました。

 「泣くなっ!泣いてて選挙に勝てるか!」

 お母さんのこの一言で、すべてが決まりました。

 「やっぱり親やな。ものすごくうれしかった」と高田さん。

 

 1月6日、西牟婁郡区党組織の党旗びらきには76人が参加。

 高田候補のあいさつ、成美さんの両親の説得にあたった田中市議の話は参加者に感動をあたえました。ほとんどの人が涙を流しました。

 高田候補の立候補の決意は人びとの心を動かしています。

 田辺市の弁護士の良原栄三さんは語ります。

 「近ごろ、こんなに感動を覚えたことはありません。内外のきびしい情勢のなかで、党の要請に勇気と誠実さをもってこたえた。本人から話を聞いて涙がでてしかたがなかった」

 

 高田さんは、東京農工大学卒業後、東京都庁に勤めました。1989年にUターンし、県庁職員(西牟婁県事務所産業課)ななりました。前年、母をがんで亡くしました。人なつっこく、誠実で、あたたかい人柄。白浜中学校時代は野球部のキャプテン、田辺高校ではサッカー部で活躍したスポーツマンで、ねばり強さも人一倍です。日本自然保護協会会員でもあり、自然や農業破壊には怒りと悲しみを抱いています。

 

 こじあけてでも議席を

 

 この青年候補への期待は、日ましに高まっています。労働者党員の決起も始まっています。

 「こじあけてでも党の議席をとりもどそう。」西牟婁の組織、支持者の共通の気持ちです。

 高田さんは、いま毎日、精力的に早朝宣伝に立っています。

 

 アメリカが中東で戦争の火ぶたをきったことについて。米軍による湾岸戦争開始を批判し、イラクは員略戦争を放棄せよと訴え、青年が定着する西牟婁にしましょうと、住民の要求実現のために奮闘する党の役割を話しています。

 

 手をふる人、クラクションを鳴らす車・・・。

 高田さんはまた、新年に「赤旗」読者を500人増やす決意をしました。この間、日刊紙9人、日曜版18人の読者をふやしました。(1月18日現在)

 

 2月9日には、白浜町で労働者後援会主催の高田さん必勝の決起集会が開かれます。

 

 「みなさんの期待、そして妻や妻の両親の思いを胸に、27歳の若さをぶつけたい。がんばります」高田さんの決意です。

 

(西牟婁地区委員長 原矢寸久)

 

 

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